Q.台風19号は、川崎にもかつてない被害をもたらしました。当日、みなさんがどのように動かれのか、そして今後にどんな課題を感じられたのか。お話しを聞きました。<224号>
Aさん:12日の午前中、予報を見て、小学校へ避難しようと考えたが、車いすで行くには遠く迷っていた。相談員さんに相談し、近くのショートステイに緊急で入ることができた。リフターもあったのでトイレも心配なく、食事もできた。
Bさん:避難指示が出たので、怖くなってヘルパーさんと一緒に小学校に避難。応対してくれた職員から、体温調節ができるかどうか聞かれ、難しいと答えると、空調設備のある3階の部屋に案内してもらえた。ヘルパーさんと一緒で安心だった。
Cさん:二階建ての我が家。肢体不自由の息子は基本的に一階で生活。当日は早めに二階に家族全員で移動し、避難リュックだけでなく、数日分の食糧と飲み物、衣類、子供達のアルバムなども持ち上がった(避難リュックは娘と一緒に前日に中身を一つ一つ見直し、不足の物や電池切れ、避難グッズの使い方などを確認した。)
ピーク時は、自宅から数メートルの用水が氾濫し、敷地一歩外は浸水、水の怖さを実感。台風のように事前に情報があり、避難まで猶予がある場合などは、より安心に過ごせる避難場所を予め調べておき、選択市肢をもっておくことも大切だと感じた。
Dさん:川の近くに住んでいる。子供がいるので、避難指示が出る前に、指定の小学校に避難。すでに、体育館と一階の校舎はいっぱい。2階、3階の校舎も開放されたが、夜には廊下まで人で埋まった。「停電すると、水道もでない」とのアナウンスがあった。そもそも避難所が、浸水指定区域なのが疑問。避難時、毛布の配布は終了。水・食料の配給はなし。とにかく持参したものでしのぐしかなかった。バスタオルを敷いていたが、床の上は痛くて寝れなかった。
Eさん:目の前が川。日ごろから、ハザードマップを確認し、浸水区域であると知って備えていた。11日の台風の予報を見て、前もって必要なものは2階にあげた。食事の用具も持っていき、娘を垂直避難して2階で過ごした。自分たちで対応ができそうだったので、要援護者として町会の支援は必要ないことを伝えようと思ったが連絡先がわからなかった。かわりに11日のうちに、区役所の危機管理室に連絡。障害ごとの対応をしていると聞いていたので、当事者家族だけでなく、支援者も逃げてほしいと思っている。
Fさん:周りの人たちは、みな近所の学校に避難していた。障害のある息子を連れてはいけないので、万が一の時はあきらめるしかないのかと考えさせられた。
◆要援護者といわれる私たちの防災(紀さんの防災情報より)