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「やまゆり園事件」についてどう考えれば良いのか


Q.あの衝撃的で痛ましい事件から4年が経過し、裁判も結審しました。世間では裁判後はメディアで目にすることもほとんどありません。私の働いている事業所では年に数回このことについて考える機会を持ちます。

先日もやまゆり園事件について考えて、感想を書くという研修課題がありました。でも私には難しくてよくわかりません。どう考えれば良いでしょうか?<233号>


A.事件直後や判決後の現在に至るまで、社会学者や福祉関係者等の有識者の方達が、様々なコメントを述べています。それでも事件の風化は否めません。この事件に限らず、日本では問題だとされる事件等が、風化していってしまう事が多いと思います。特に障害者に関しては、古くから(最近までと言ってもいいかもしれませんが)世間に見えないようにする、見て見ぬふりをする、という社会的背景も大きいかもしれません。

 

最近の出来事で、福祉業界で働く若者が、「この事件自体を知らない。」と言われた時には衝撃を受けました。新聞もニュースも見ない人たちにとっては、それが当たり前なのかもしれません。広島や長崎の人が、東京に出てきて8月6日と9日に、誰も黙祷をしないことに驚く、というのも同じ感覚なのかもしれません。

 

話がそれましたが、この事件に関して、私たちは考え続けていくことが重要なのだと思います。どう考えればという答えはないと思います。どう感じたか、どう思うかで、それはみなさん人それぞれでしょう。有識者の方達のコメントや、他のみなさんの思いや考え方を見て・聞いて、それをご自分がどう感じるかを問い続け、発信していくことではないでしょうか。

 

7月下旬に発覚した事件で、ALSを患う女性がSNSを通じて見知らぬ医師に報酬を支払うとして命を絶つことを依頼し、依頼を受けた医師がそれを実行し、女性は亡くなりました。実行した医師は嘱託殺人の罪で逮捕・起訴されました。この事件をきっかけに、「安楽死・尊厳死」をめぐる議論がなされています。(反対・容認様々です。)

 

私たち障害者や、その家族の中には「死んでしまいたい」と思ったことのある人たちが、少なからずいらっしゃると思います。しかし、そう思ってしまう背景には、社会的要因が潜んでいると思います。

 

この女性の生活環境がどのような状況だったか分かりませんが、主治医にも安楽死を求めていたのに女性の心の叫びを聴いてくれる人がいなかったのでしょうか。周囲の方は必至でサポートされていたのかもしれませんので、軽々なことは言えませんが周囲の環境が十分でなかったことは推測できます。

 

この事件に対するメディアや社会の対応が、やまゆり園事件後のそれと重なって見えてしまうのは、私だけでしょうか?(前文が私見になってしまいました)佐藤紀彦



津久井やまゆり園事件(紀さんの福祉情報)