Q.来年度、特別支援学校を卒業する重複障害の子の母で、多摩区に住んでいます。
川崎市の北部は、生活介護施設がいっぱいで、特に身体障害のある人の受け入れ先は、少ないといわれていますが、このまま待っていれば入れるのでしょうか。<197号>
A.進路の先生のお話しでは、厳しい状況が続いているようです。重複障害の方たちが入れる新しい施設を作らないかぎり、この状況は変わらないということでした。
2011年3月に卒業された松澤さんは、自分たちで子供たちにあった小規模施設をつくろうと立ち上がられました。松澤さんにお話しを伺いました。
学校卒業後の進路先を考えた時、稜子の状態に合う通所先がないとずっと感じていました。実際、実習先の受け入れは厳しい状況で、結局3月1日に決定連絡が来ませんでした。悲しい以上に悔しい気持ちが強かったです。
納得できない気持ちでいた時、丁度自宅1階のテナントが空いたので、その場所で何かつくれないかとNPO法人に相談をしたのがはじめです。
まずは、仲間を集めなさいとのアドバイスで、年齢や場所の近いお友達に声をかけました。何回か集まっていただいた方へ、娘の居場所をつくりたいとの私の気持ちをお話しして、最終的に一緒にやろうと賛同してくれたメンバーでほっとぴあができました。
実際に何をしたらいいか分からなかったので、障害計画課の方にお話しを聞く場も設けました。そこで、NPO法人でも生活介護事業をできるとの話だったので、ほっとぴあから法人に運営をお願いする形で総会で提案をさせていただきました。
そして生活介護施設が実現しました。今年で6年目になりました。メンバー全員が楽しく過ごしています。日々通って下さるスタッフのみなさまにあらためて感謝申しあげます。
私財を投じてでも生活介護施設を作らなければならなかったのは、重心の子が通える通所先が足りなかったからです。あれから6年経った今の様子はどうなのでしょうか。
先日麻生養護学校A部門のお母さん方数名とランチ会をしました。やはり進路先に不安が大きい様子で、特に医療ケアのある方は本当に選択肢がないようです。
川崎市が作る通所先は医療的ケアがあると受け入れてもらえないこともあるようです。6年前、稜子の進路先が決まらなかった状態から何も変わっていないのかとちょっと残念です。
重心の人、医療的ケアのある人は市の計画には入らないのでしょうか。これから進路先を探す方々は、じっと待っていないでいろいろ動いて欲しいなと思います。
(松澤美也)