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20代の息子が夜、なかなか寝かせてくれません


Q.20代後半の息子が、親の気を引こうとしているのか、夜になると、いろいろやってくれるようになって、困っています。身体を引っ張ったりして、寝かせてくれません。<177号>


A.私たちの周りでは、こういうお話しをたくさん聞きます。

 

「夜中なのに、大きな声を出して困る。やめなさいというと、余計声が大きくなって、ご近所に警察を呼ばれてしまったことも…」「夜、母の髪を引っ張ったり、起き上がったり、とにかく寝かせてくれない。」

 

そして、みなさん、通所先やショートステイ先では、問題ないといわれているんだけどと、付け加えられています。

 

私は「一緒に寝るのを辞めましょう。お部屋を別にし、一人で寝てもらいましょう。危険がないようにして、騒いでもほっておきましょう。」とお話ししました。

障害があるからと、つい心配が先にたって子どものころと同じようにやすまれてこられたのでしょう。いつも接しているご家族からみると、子どもの時と変わらないように見えるかもしれませんが、ご本人の心は大人に育っています。子ども扱いやあれこれ指示されるのが、もういやなのではないでしょうか。

 

もう大人だから、「今日からはひとりでねてみませんか。」と提案されてはどうでしょうか。自分からはお話しができない人も、ご家族や周りの人が、真剣に話しかけられたことは伝わることが多いです。

 

そんなことを考えていたら、ラーの会のメーリングリストに、東京都島田療育センター長の小沢浩先生が、「なごみ通信5」を載せておられました。これは参考になるのではないかと、転載をお願いしたところ、快諾してくださいました。いかがでしょうか

 

東京都島田療育センター長

小沢浩さんから「この子を頼む」(なごみ通信5)


もがけばもがくほど深みにはまっていく蟻地獄のような世界。

人はときにそんな世界に迷い込んでしまいます。

でも、ちょっとしたきっかけで世界は変わっていきます。そんな話を紹介します。

 

「この子を頼む」

 

「島田療育センターはちおうじ」が開院してしばらくして、成人のダウン症で知的障害のKさんが外来にやってきた。

 

お姉さんが介助し、車いすを押して入ってきた、

お母さんは10年前に亡くなり、そのときお母さんがお姉さんに残した最期の一言が

 

「この子を頼む」であった。

 

お姉さんは、その一言を忠実に守りKさんに尽くした。

Kさんは、道路を歩いていて車で怖い思いをして以来、作業所に行くことができなくなり、ずっとひきこもり状態であった。

 

家でも、お姉さんが手を引かないと歩けない、食事も介助しないと食べない、お風呂も連れて行かないと入らない、気に入らないことがあるとその場で暴れるなどの行動の毎日であった。

 

お姉さんは、睡眠も妹さんに合わせ、午前3時頃寝ていた。

「でも意外に、外出ではりきっているとすぐ準備するんです。その時は速いんです。」

お姉さんの一言を聞き、私は改めて二人をみた。

 

お姉さんはお化粧もせず、髪も乱れていて、疲労の色がありありと出ていた。

Kさんといえば、ずっと背を丸めうつむいているが、ときどき上目づかいにこちらを窺(うかが)っていた。目が合うとあわててうつむく。しっかり話は聞いているようである。

 

私はKさんの前でお姉さんに二つの提案をした。

「一つは、ほおっておくこと。そうしたときに、どういう行動をとるか観察しましょう」

 

それを聞いたお姉さんは「でも食事をとらなかったら?お風呂に入らなかったら?床で暴れてそのままにしておくとそこで寝てしまうんです」

私の答えは簡単である。

 

「昼食べなくても死にやしません。おなかがすいて自分で夕食を食べると思いますよ。お風呂はしばらく入らなくても死ぬことはありません。床で寝て、いやだったら自分で布団にくるでしょう。床に寝てても構いません。それがどうなるか確認しましょう」

 

それを聞いたKさんは、突然激しい咳をした。しっかり聞いてくれているようである。

 

それからもう一つの提案をした。

「お姉さん自身の人生を考えましょう。お母さんの遺言の意味は、今の形でないと思います」

お姉さんは、はっとして、私をみた。

 

それから理学療法が開始された。

歩行可能なKさんに本来は理学療法の適応でないのだが、理学療法士さんにお願いしたのは、「やる気を育てること」であった。

理学療法士さんは、それは一生懸命に関わってくれた。

そして、一か月後の外来。私はとにかくびっくりした。お姉さんはお化粧をしていて、それはきれいで輝いている。Kさんの背中は少し丸みがへり、歩くのが早くなってきていた。

 

それからみるみる二人は変わっていった。毎回、理学療法士さんが報告してくれる。

そして、なんとKさんは、作業所に通うことが決まったのであった。

もう、5ケ月で島田療育センターはちおうじを卒業になる。お姉さんの早い決断にこちらが戸惑ってしまう。

 

でも、お姉さんは言った。

「最近は、料理を手伝ってくれるんです。前に進んでみます。きっかけを作ってくださり、ありがとうございました」

 

人は、みんな一生懸命である。でも、一生懸命なゆえに、まわりがみえなくなってしまうこともある。それを責めることなく、ともに寄り添い。道を切り拓いていくことが大切なのだということをこの姉妹から教わった。

 

東京都島田療育センター長 小沢浩